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鰹節屋の昔話
第十四 話
二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください
さつま揚げ屋
ヨネキたばこ屋の路地を挟んで一軒隣に大きなさつま揚げ屋『山久』、毎日職人が揚げる のを食べたそうに見ていました。此処の子供に一つ下の男の子が居たので、時々、揚げたてを貰ったのですが、 一番食べたかった玉子の入った「バクダン」と言うのは一つも食べさせて呉れませんでした。 玉子が高かったのでしょうね。
考えてみると、家では冬のおでんの時しか、さつま揚を食べて居なかったのに、 その頃一年中売れていたのが不思議です。
この家には一級下の子がいて、裏の自宅へ遊びに行きましたが、此処は我が家と違い、 結構な生活、勉強机と椅子があったのです。この家も戦災で、焼けて戦後、 御主人は文盲のせいで人に騙されて、かなり悲惨な暮らしになったと聞きました。 あれだけ大きな工場の御主人が文盲などとは考えられなかったことです。勉強がかなり出 来たその山根君は今どうしているかなと、時折、思い出します。