鰹節屋の昔話
第十八話
二代目店主 中野英二郎が語る、戦前から高度成長前夜にかけての、かつお節の話、魚河岸の話、築地界隈の話、東京の話などなど、四方山話を聴いてください
中山競馬場
何時の頃からか、時折、中山競馬場まで、父は私を連れて行ってくれる様になりました。
父親のかつての奉公先(伏正)のご主人の次男が浅草で料理屋をしていました。
その方が中山競馬場でも食堂を開いたので連れて行く、と言うのが名目でしたが、
本当の所は、当時20円の馬券を一人一枚しか買えなかったので、二枚買う為に子供を連れて
行ったのだと、後で気が付きました。
昼はその食堂でお客が居なくなってから、上等の弁当を出してくれました。
子供なぞ、他に、居ないので、店のみんなに可愛がって貰った覚えがあります。
馬券売り場に入る入場券は一人一枚なのです。
円い形の券で、レース番号が一回りに印刷してあり、首からぶら提げる紐が付いていました。
ゲートがあって、馬券売り場に入る時にレース番号の書いたところにパンチを入れるのです。
今考えると、連れて行った親も、勿論、馬券売り場に入れてくれた、
競馬場の方もどうかと思うですが、おおらか、だったのですかね。
何も判らず、自分で馬券を買わないで、競馬を見ているくらいつまらないことはないのですが、
終わってから、必ず、タクシーで、浅草まで行き、料理屋の内座敷で、
美味しいものが食べられたのが愉しみでした。
行きは省線電車(今のJR総武線)なのに、何故、帰りはタクシーなのか判りませんでしたが、
帰りの円タクは結構安く値切ったのた筈です。
戦前の競馬は単と複しか無かったので、度胸のない父親は意外と損をしていなかったのではと思いますが、
一レースに40円、戦前のお金です。それも子供の私を何度も連れて行ってくれたのです。
戦後になって、どうやってその元手の金を都合つけたか父親に聞いたけれども
「そんなこと聞くな」と教えてくれませんでした。